昔、越すに越されぬとうたわれた大井川。そこにかかる長い橋の渡り初めをしてきました。この橋を渡るのはもう何度目でしょうか。このブログにも何度か載せていますが、渡るたびに心境が変わっていて、同じ橋でもちょっと違う感じがするんです。
今回は風が強くて低い欄干から飛ばされそうでした。世界一長い木の橋として、ギネスに認定されている橋は、全長、897.4メートル。厄なし、という意味でも使われるそうです。
橋の下には、お婆ちゃんワンコがいまして、ほんわかとしたお顔。コロナで厳しい年明けにほっとする顔です。
2021年はコロナ問題で始まり、正月を楽しむなどという雰囲気には到底なりそうにないまま過ぎていきます。
それでも、やっぱり遊び心は忘れずに持っていたいもの。さまざまなイベントや展示会も中止になるなか、いつもの岡部の柏屋にはかわいいものたちが並んでおりました。
炭治郎も頑張っています。
いろんな絵馬が展示されていますが、これは家康公。思わず、嘘っ、とつぶやいてしまいました。だって、家康のイメージとは全然違うんだもの。
こちらは、私の憧れる紫式部様。ものの本によると、かなりしたたかな方だったようで。たしかに、そうでなければ、後生に長く残る偉業はできますまい。
こちらは、なまこ壁の中に展示されている折り紙展のもの。ご年配の和服姿の方がにこやかに出迎えてくださって、いろいろ話がはずみました。
折り紙のお雛様。後ろの写真は、飼っているという白猫さんとその乳母車。
折り紙の作者であるその方も猫を飼っているということで、話がはずみ、猫の鋭い感受性について話していました。猫は飼い主の様子にいつも鋭敏なアンテナを張っていて、飼い主の言葉も理解するし、究極には、飼い主の厄も吸い取ってくれるということでした。
彼女が大病を患ったときに飼っていた猫が突然死んでしまい、時を同じくして、彼女の病気が治ったのだとか。身代わりになってくれたのではないかと言っていました。
にわかには信じがたい話だけれど、そういう話はときどき聞くものです。実際、我が家でも似たようなことが三毛子を飼い始めたときに起こりました。
【最近の三毛子は、外遊びから帰ってくると、二階の日当たりのいいところにおいてあるケージの最上段で寝ている。】
一昨年に夫が受けた心臓の手術。でもまた不整脈が再発し、昨年に再手術をする予定になっていたのですが、それが、三毛子が我が家にやってきたころからおさまってきて、結局、手術はとりやめになったのです。今では薬も減って、毎日よく動いているのです。
理由は医者にもわからず、いまだにはっきりしないのですが、変化といえば、三毛子がきたことくらい。単なる偶然かもしれないし、この先のことはもちろんわからないけれど、とりあえずはほっとしているところです。
動物というのは、人の能力を遙かに超えたものを内に持っていて、あるときそれが爆発的に現れるものではないのでしょうか。猫は犬とちがい、遠い距離の移動は不得意といわれていますが、とんでもない距離をたどり、何か月もかかって、飼い主のところに戻ってきたという話も聞きますし。
コロナの収束には長い長い道のりですが、油断をすると落ちてしまいそうな橋の向こう側には、きっと平安があることを信じたいものです。