記憶の箱

丘の上の樫の木が、寒空に凛と立ち、晴れ渡った空には月が。きょうはとても寒かったが、冬だからこそみられる木々の骨。太くて脊髄のような幹から伸びていく枝はまるで血管のよう。そばではまる子がかくれんぼ。

藤枝に雪が降ることはほとんどないから、冬でもとじこめられることはない。きょうは、公園に隣接する博物館の前でおもしろそうなポスターをみかけたので入ってみた。中での撮影は不可ということで、写真はポスターから。

シアターの写真は、どれも屋外のポスターから撮ったもの

ムットーニこと、武藤政彦氏が独自に考えた「からくりシアター」というもので、ボックスシアターともいうのだそうだ。箱の中に人形や楽器や背景が、劇場のように作ってあり、音楽とともに動く。決して大きくはない箱の中に広がるきらびやかな世界が、ストーリーとともに繰り広げられる仕組み。

当然、箱ごとのストーリーとともに音楽も変わる。並んでいるボックスに順にライトがつき、シアターが移って行く仕組み。これはみてのとおり、ラテンが流れていた。よくみると、ボックスの下の方にはスピーカーがついているというわけだ。

シアターだから、ショーが終わると両側から扉が閉まったり、下からボックスの蓋があがってきたりして、つぎのボックスにライトがともる。

いろいろ複雑な仕掛けがこらしてあって、暗くしてある館内でそこだけ明るいので、目の前に繰り広げられる世界に入っていける。でも、私が好きだったのは、「記憶の小部屋」という小さな箱の中の世界。

奥に鏡があって、手前にはテーブルと椅子が並んでいるだけの誰もいない部屋。なのにときおり、鏡に背を向けた男の人が映るのだ。「記憶の小部屋」という題にも惹かれた。

たしかに記憶というものは、今、現実にはないものが、鏡にときおり映し出されるようなものだ。

誰も乗っていないメリーゴーランドを眺めているような、さびしい記憶もあれば、朝の通勤時の雑踏の中、横断歩道を駆け足で会社に向かって行く記憶もある。

たくさん並ぶ窓の中から外を眺めている記憶は、マンションに住んでいたころのこと。まだ若く、物書きになりたくてひたすら原稿に向かっていた。週に三度ほどは、片道一時間近くも電車に乗って新橋にある職場に向かい、帰宅が深夜になることもあった。

ペンギンハウス

昔猫、マロンかプリンの足跡

でも結局、私の足跡はこの雪上の足跡のように消えてしまい、なにも残ってはいない。けれど今は今で、猫と戯れる時間に笑みがこぼれる毎日だ。

チビとまる子は、古墳のレプリカでよく寝転ぶ。丸い形がお気に入り。古墳の主もさぞ驚いていることだろう。ここで、まる子から生まれたチビの記憶はどんなだろうか。同じようにして生まれたほかの二匹が死んで、よほど怖い思いをしたのか、些細なことにも過剰に反応する。トラウマはなかなか消えないようだ。

寒いときほど富士はきれいだ。あのように、でんと構えていたいけれど、なかなか・・・です。

 

 

 

 

 

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