いよいよ春の盛りへとまっしぐら。虫たちがもぞそもぞと動きだし、人々は一つの区切りを迎え、猫たちは発情の声をあげる。なんとなく気持もふかふかとして、落ち着きがなくなってくる。
クロッカス 写真はkさん
いつも見慣れている池の鳥まで、風の柔らかさに浮き浮きしている様子。池の水もぬるんできたようで、冬のあいだは動きも少なかった水鳥たちも活発に動き回っている。なかでも、あたりを見回すようにゆっくりと歩くアオサギには気品がある。
【カモのヨガ?】
水辺の鳥たちを眺めながら池を周り、ゆっくりと坂道を上っていくと,道の両側には杉林。木々はまだ、さきほどまで降っていた雨のなごりを残し、雨滴を枝葉にしたたらせていて、水の粒一つ一つが差し込んできた光に輝きだした。
写真には、はっきりと写しだすことはできなかったが、杉の葉先の水の粒が、上から差し込んでくる日射しを受けて、それぞれ、紫、青、ピンクと色づき、小さな宝石となってまたたいた。奇跡のような瞬間が、眼の前にあった。
なんの変哲もないありふれた木々の上に起きた、ほんの一瞬の輝き。夢でもみているのかと思うほとで、もっと、もうちょっとだけ、この瞬間をとどめておいて! と願っても、雫の宝石は、あっさりとひとつずつ落ちてゆく。
もっと、ずっと、みていたい。そう思うのは欲張りだ。こんな瞬間に出会えたことを、今日という日の褒美にしよう。そう思いながら丘の上に着いたころには、空はすっかり晴れた。大きなケヤキの大木はまだ枯れ色だ。けれど、眼をこらすとしっかりと芽吹いている。
その木の下の石には、背中に七つの星を背負ったてんとう虫。顔をよくみると、かわいいというか、グロテスクというか、それは、見る人の眼による。なんせ、物を見ているのは眼ではなく脳でみているのだと、養老孟司さんが言っていたほどだから。
さっそくまる子がみつけて、追いかけ始めた。おいおい、まる子、そっとしといてあげなよ。てんとう虫も春を楽しみにして出てきたんだからさ。七つの星を背負っているんだから、そのうちの一つはまる子にきっといいことを運んでくれるよ。そうやって、一つ一つ誰かに運んで、最後にはなあんにもなくなっちゃうんだ。
私のつぶやきが聞こえたか、まる子はすぐに飽きて、古墳の上からお見送り。草むらは日中の暖かな日射しを含んで、気持ちよさそうだ。いつもまる子がいるところはまる子の形に、丸く窪んでいる。
家に帰ると、三毛子がお待ちかね。人慣れしていて人懐こいまる子にくらべ、三毛子は保護してからも数ヶ月ものあいだ、指すら触れることができなかった。それでもちょうど一年がたち、しだいに心を開き、甘えることを覚えたようだ。
あたりが寝静まった深夜、ひとりボンヤリしながら、かたわらに寝そべっている三毛子の背中を撫でている時間は、一日の終わりから明日への回復につながる貴重な時間。もう少し、もうちょっとと、かまおうとすると猫パンチがくる。なんにつけても、もっと、と思うと、なんだか痛いめにあう気がする。
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