奈良に通っていたころ
*******大阪編*******
戦いにあけくれ、くたびれていたマロン
山形から大阪に越して数か月、猫たちのこともどうにか近所の人たちに承認してもらえたようだった。迷惑をかけていたはずだが、まわりの人たちは、おおむね好意的で、慣れない土地でマロンが行方不明になったときには、情報を教えてくれるほど。ありがたいことであった。
道をはさんだ向かい側に古い空家があり、そこは、ノラ猫のボスの棲家。新入りのマロンはボス猫の洗礼を受け、戦いにあけくれていたが、そのうちに折り合いがついたのか、マロンもプリンも空家に入り浸るようになった。雑草や木が生い茂るその庭は、マロンとプリンにとって、唯一のオアシスになっていたようだ。
どうやら猫たちが慣れてきたのをみて、飼い主のほうも、少しずつ外出をするようになり、待望の奈良へも行けるようになった。
奈良の大仏は、たしか修学旅行の時に見学した記憶がある。なのに、なにも覚えていなかった。
※ 写真 インターネットから引用
あのころは、仏像だの古いお寺だのにはまったく興味がなくて、ただ、みんなでわいわいすることのほうがずっと楽しかったから、大仏のことはほとんど見ていなかった気がする。
けれども年月がたち、ふたたびその前に立ち、みつめていると、その大きな体に圧倒され、言葉もなかった。祈るほかに、すべがないときもある。昔の人々は、とうてい太刀打ちできないものを前にするとき、きっと、ただ祈り、慈悲を乞うたのだろう。おおらかな温かさに満ちている佇まいだった。
それから、阿修羅像。憧れていたその姿を実際にみてみると、思っていたよりもずっと小さく、華奢に感じた。少年だということで、立ち姿が美しい。3つの頭と、6本の腕。その顔は、若さに似合わず、眉間を少しよせているかのようにみえた。そんなに美しい顔でなにを悩んでるの? と、尋ねてみたかった。
※ 写真 インターネットから引用
奈良という町は、京都よりも落ちついていて、平日に行くと、いっそうしっとりとした空気に包まれる。家から車で走ると法隆寺が一番近いこともあり、思い立つと車を走らせ、何度となく通ったものである。
※ 写真 インターネットから引用
夕陽のなかでみた法隆寺の長い回廊は、ときおりそこを通る僧たちの衣擦れの音ともに胸に染み入ってくる。夕暮れの静謐な佇まいのなかにいると、自分が今いる場所が小さな点のように感じられた。だから、不安や孤独感に襲われるときには、よく車を奈良に向かって走らせたものだ。