猫の道

*******大阪編*******

秋の終わり、プリンは虹の橋を渡った。14歳だった。

それからというもの、マロンは、こうして、いつもプリンが帰ってくる道をみつめているようになった。

山形にいるとき、日の暮れた道の端を行進するように歩いていた、二匹の子猫を保護してから15年近くたっていた。捨てられていたときも、それからもずっと、プリンとマロンはいつも一緒だった。

 

大阪にきてからも、二匹一緒だったから、環境の激変にも耐えられたのかもしれない。ずっと二匹でワンセットという感じで生きてきたのだから、マロンの反応が心配だった。

それで、プリンのなきがらを骨にする前にマロンに見せて納得させようとした。すると意外にも、マロンはすぐにそばを離れた。思っていたよりも、ショックが少ないのだと、初めは思った。

だが、まもなく、マロンは毎日、プリンを探すようになった。初めは家の中を探していた。二階の押し入れや私のベッドの下、それから、日の当たる窓辺の籠の中など、プリンがいた場所をつぎからつぎへと嗅ぎまわっていた。だけど、あすこにもここにもプリンはいない。家の中にいないことを知ると、今度は外を探し回った。

プリンが好きだった、斜め向かいの、花いっぱいの家の庭に行き、ノラたちのたまりばになっていた空家に行き、それから、プリンはよく、車を避けるため側溝を移動手段に使っていたから、そこも、丹念に嗅ぎまわっていた。それでも、どこにもいない。すると、いつもプリンが帰ってきた道をみつめて、庭のテーブルの上で、プリンが帰ってくるのを待っているようになった。

かさこそと落ち葉が風に動いても、プリンの気配と思うのか、さっと耳を立てて、音のするほうをみつめている。暗くなってきて、「マロン、家に入ろうよ」と言っても、ただじっと道のほうに眼をやっていた。

そんな状態が一週間、10日と続き、やがて一月たっても、マロンはあいかわらずプリンがいつか帰ってくると思っているようだった。家の中にいるときにも、猫ドアのほうをしきりに気にしていた。うっかり、会話などで「プリン」の名前を出すと、マロンはとっさに猫ドアのほうをみる。私たちはプリンの話をしないように気をつけた。

プリンの匂いが残っている毛布やベッドに寝るようになると、少しおちつくようだった。二匹のときには、朝、庭のデッキに並んでで日なたぽっこをするのが日課だったが、マロンは一匹になってからも、その日課は続け、日中は、あいかわらずデッキのテーブルの上でプリンが帰ってきそうな道をみつめていた。

キャットタワーの狭い板の上で、二匹はよく、くつついていた。そこにプリンがいないせいか、マロンはあまりのぼらなくなった。どうしても、相棒がいなくなったことが納得できないようだった。