ある日、突然に。

丘の上のセミの鳴き声も減ってきて、空には、盛んにうろこ雲。

なのに、気温はあいかわらず高く、ふうふう言いながら丘までたどりついて、餌をせかす猫たちにちょっと待ってね、と声をかけて水分補給。特性のスペシャルドリンクだ。去年まではスポーツドリンクに頼っていたが、今年はお茶に少しだけ昆布を入れてハチミツを加え、しその葉をひとつまみ入れて、冷蔵庫で冷やしておいたもの。甘さも塩分も自分好みに調節できる。

餌をやり終えて、ほっと一息入れていると、ウォーキングする人たちがときおり声をかけてきてくれたり、猫たちに近づいてきたり。つかのま、丘の上のティータイムだ。名前も境遇も知らない人たちだけれど、気軽に挨拶してくれる人たちは、日常のちょっとしたことを挨拶交じりに話していく。その一言が、励みにもなる。

きのう話した人は、60代くらいの男性。ときどき会うと軽い立ち話をする。でもいつもと様子が違った。なにか、いてもたってもいられないという顔で近づいてきて、石の上に坐って話し始めた。話を聞いてくれる人がいれば、少しは気持が和らぐかもしれないと言って。

それは週末のできごとで、暑いので友人と一緒に海に泳ぎに行ったという話から始まった。昼ごろから海に入って友人と一緒に泳いでいたのだが、だいぶ時間がたって疲れてきたから、もうあがろうよ、と友人に言うと、友人は、暑いからまだ入っているといってきかない。それでも彼は一休みしようと言い、一緒に海からあがったが、友達は少しだけ休んでまた海に入ったのだという。

だが、少しして、友人は海の中で具合が悪いと叫びだしたので、彼は人を呼び、救急車を頼んだが、友人はそれからまもなく意識がなくなり、病院に運ばれたものの意識は戻らず、亡くなったのだという。あっというまのできごとで、彼はなにがなんだかわからなくなったのだそうだ。

医師の診断では、熱中症だったという。彼は独身で、その友人も独身。二人して山歩きやプール、海などに遊びに行くような仲だったのだそうだ。ここにもときどき連れ立ってやってくることがあって、私にも見覚えがある。彼の後ろに遠慮がちに立ち、笑みを浮かべている人だった。

つい数日前のできごとを話す彼はとても辛そうだった。どんな言葉をかければいいのだろうか。大切な人を突然に失った衝撃は、夕暮れのなか、ひしひしと伝わってきた。「とにかくご飯はちゃんと食べてね」などと、とんちんかんなことしか言えない私に、彼は、東屋で少し風に吹かれてくると言いながら立ち去った。

私にも、大切な友人を突然に失った過去がある。親族を失う悲しみも大きいが、心が通じ合える友人を失うショックは、それとはまた違う、深い悲しみだ。彼の心の空洞を思うと、ヒグラシの声が切なくて、坂道を降りる足どりが重くなった。

ここでは、きのうまで元気に歩いていた人の姿を、突然に見なくなるということがよくある。もちろん、さまざまな事情があるだろうが、調子が悪くなったということも多いだろう。実際、坂道で倒れてそのまま亡くなったということもあった。

よく話をかわした人たちとの別れは予告もなしにやってくるが、浮かんでくるのは、なぜか笑っている顔ばかりなのだ。ならば、私もできるだけ笑っていることにしよう。笑っていれば、なんとかなる気がする。たとえ、泣き笑いであっても。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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