水車の里はもみじに彩られていた。正式な地名は、滝の谷不動峡。そして、これまで、何度行っても回っていなかった大きな水車が、ようやく回っていたのです。
回る回るよ、水車は回る~🎵
直径はどれくらいだろうか。3メートル以上はありそうだ。それがセッセセッセと回り、水がバシバシと小気味よい音を響かせながら、勢いよく飛び散っている。
初めてきたときには壊れたままで、水の流れていない水車は死んでいるのも同然だった。それがなんと、寄付を集め、いろんな人の力で蘇ったのだ。
命を吹き込まれた水車のそばに立っていると、時代をさかのぼり、静かな村にたどりついた気分。車で走るのはもったいないので、しばらくあたりを歩くことにした。
常緑樹が多く、あまり紅葉が見られないこの土地でのモミジは貴重だ。セッセセッセと回る水車のように、セッセセッセと歩いて行くと、ちょっとしたお話が浮かんできまして・・・。
昔々、大きな水車がある村に爺さんと婆さんが住んでいて、二人はときどき、収穫した穀物を水車小屋へ持って行き、粉に挽いてもらっていました。爺さんと婆さんの作る穀物はわずかなものですから、暮しは貧しかったのですが、二人は不平もいわず、元気に暮らしていました。
ある日、いつものように、挽いてもらった麦の粉を二つに分けて、それぞれ背負って帰るとき、別れ道のところでキツネに出会いました。
キツネは、いばった顔で、おい、それをここに置いていけ、そうじゃないと通さんぞ、と、今にも飛びかかりそうにして道をふさぎます。驚いたことには、キツネのそばには爺さんと婆さんが以前に飼っていた三毛猫がいて、その猫がなぜかキツネにスリスリしているのでした。
それをみた婆さんは、「なあ、三毛や、いつだったか死にそうになっていたお前を助けてやった恩を覚えているかい、わしらに恩を返しておくれでないか。キツネに説教しておくれ、これがないとな、わしら年越しもようできんのじゃ」と頼みました。
すると、猫は、今はこのキツネさんが私をかわいがってくれているから、キツネさんのいうことを聞いてやって、と逆に訴えるのでした。甘えた声を出し、しっぽをふりながら。
四季桜
爺さんと婆さんはためいきをついて、空をみあげて考えました。頭の上には、季節外れの桜が見事に咲いていました。それをみて二人は、背中の麦の粉をおろしました。かわいい猫がキツネと仲良く暮らしていけるようにと。
子供のいない二人にとって、いつだったか迷い込んできた猫は天からの授かり物のように思え、たいそうかわいがっていたのでした。それがある日、姿を消したまま帰ってこなかったので、ずっと気になっていたのでした。
トボトボと帰る二人の背中には大切な荷はなく、気持まで寒くなってきます。泣きそうな顔の婆さんを見て、爺さんがいいました。
「よう考えてみれば今日はいい日じゃよ。みごとな桜もみられたし、なにより、どこぞで死んだとばかり思っていた猫が元気にしておったんだからなあ」。それで婆さんも気を取り直し、いい日じゃいい日じゃと念仏を唱えるようにいいながら、二人は日暮れの道を家の明かりに向かって急ぎました。
と、こんな話を頭の中で思いながら、家に帰ってくると、三毛子が隠れているつもりなのか・・・。頭隠して、しっぽ隠さず。