公園というところは、いろんな人生が行き交うところ。だから飽きない。とくに休日の公園は、大賑わい。15日は天気も良かったから人出も多かった。
朝は出店が出て、野外音楽堂ではフラダンスやタヒチアンダンスの発表会でもりあがり、ほかにもギターの弾き語りや鷹を手に止まらせながら歩いている人も。芝生では、ヨガをしているグループがいた。
この鷹、よくみると、眼がつぶらで案外かわいい。グッグッと鳴いているので、わけを訊くと、餌をねだっているのだという。これからどこかへ飛ばしに行くと話していた。
駐車場も混んでいてようやくみつけて駐車。池の周りは人混みで密になっていた。私の目的はタヒチアンダンス。なぜかというと、ちょっとした思い入れがあるからだ。
横浜に住んでいたころのことだ。小説教室が終わると、講師を囲んでの雑談と食事を兼ねた集まりがあり、さらにそこから気の合う仲間たちと一緒に立ち寄る店があった。わりあい料理もおいしく、二時間に一度ほど、タヒチアンダンスのショーが始まる。
本場の若い女性たちが出てきて、激しいリズムにあわせていきなり踊りだす。テーブルのすぐ近くでみる彼女たちの迫力に圧倒された。
じきに彼女たちの顔や体にはうっすらと汗が滲みだし、引き締まった浅黒い肌が艶を帯びてくる。長い髪が揺れて体に貼りつき、さらに激しく腰をひねる動きにみとれているうち、こちらもそのリズムに反応し、快感が湧いてきた。
今日のダンスもうまくて、やっぱり横浜のことを思いだしていた。本場の人たちとはちがうが、迫力のあるリズムに、ついこちらも体を動かしていた。
さすがに、指導者の立ち姿は美しい。
ダンスにしろ、小説にしろ、うまくなるためには、果てのみえない道を行くようなものだ。そしてうまいだけでもだめなのだ。
静岡に移り住んですぐのこと、体を動かそうとフラダンスのグループに入った。覚えの悪い私は、そこでは3枚目的な存在。笑われることを初めは気にもしなかったが、鏡の中の私の動きはどうしても美しさには程遠く、これはもう畑違いと思い、撤退することにした。
だが、あの、腰をゆっくりと振る動きは、長年の腰痛を回復させてくれるほどの絶大な効能があった。今でも腰が痛くなると、ゆっくりと腰を振ってみる。
そのころに一緒に踊っていた人たちもステージに出ていたが、修練を重ねた様子が手の動きや腰の動きによく出ていた。うん、道は違えど、おたがいに頑張ってきたんだよね。あのころのみじめな自分も、今はいとおしい。
なんだかんだとうろうろしているうちに夕方になり、いろんなことが頭を駆け巡るのを感じながら坂道をあがり、チビまる子に会い、なんだかほっとして、つい独り言。
「おまえたちときたら、欲もないし、他と比べることもないし、とくに頑張ることもないし、その日その日、どうやったら気持よく過ごせるかって、そんなことばかりを考えて暮らしているんだよなあ」。なんてまあ、いい生き方!