四姉妹

きょうだいは他人の始まりという。そうかもしれないが、自分の場合は、いてくれて助かっている。なぜかというと、話し相手に困らないし、気軽に相談もできる。それでつい寂しくなると、姉か妹に電話をしている。

姉妹のほかにも男の兄弟が二人いるから、子供のころは、にぎやかというより騒がしかった。自分の時間や場所を確保するのが大変である。そのせいか、まわりが騒がしくても、好きなことに集中できるようになった。これは今でも役立っている。

もちろんいいことばかりではない。なんでも、みんなで分けなくてはならないし、ライバル意識もある。結婚すればなおさらで、それぞれの伴侶も加わって、けっこう複雑になる。

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でも、そういうところを過ぎてくると、今度はたがいにいたわりあうようになってくるから不思議な関係だ。たまに電話をかけあって、おうい、元気かあ、と確かめている。みんな、ほんもののおとなになったんだなあという感じだ。

それぞれの家庭の子供たちも自立したころ、母の具合が悪いと聞き、実家に帰ったときのことだ。母はすでに悟っていたようで、きちんと整理された部屋で、タンスの一番上をあけ、お棺に入るときにはこれを着させてくれと言った。

それは、母が好んでいた深い緑色の無地の着物だった。そして、あなたたちは、揃えてやった喪服を着るようにと続けた。母はそうやって生きてきたように、最後まで段取りを取るのを忘れなかった。

母の三回忌がすぎたころだったろうか。姉が、長女の役目をおりたいと言ってきた。面倒見のいい姉がそんなことを考えていたなんて、と驚いたが、もうお互いに好きにすればいいよね、ということになった。

たしかに、年の離れた姉は、幼かった妹たちを風呂に入れてくれたり、勉強をみてくれたりし、大きくなってからは、先に上京していた関係で、上京してくる妹のために部屋を探したり、暮らしぶりを気にかけてくれたりしていたのだった。

おたがいに家庭を持ってからは、正月になると、私の家族と妹家族を招いてくれ、看護師の仕事を持っていて忙しいはずなのに、たくさんの料理を作ってもてなしてくれたものだ。

それぞれ住むところが遠くなり、いつのまにやら姉妹は会うこともなくなり、みんなしてたまには会おうよといっているうちに、コロナが流行しだした。

なんだか気になって先日、ひさしぶりに姉に電話をかけてみると、私ね、調子がよくないのよ。だから早いうちに会っておいた方がいいと思うんだけど、でもこんな時期だしねえ・・・、と思ってもみない言葉が返ってきた。

                                   東京駅

東京駅で姉妹が会ったのはもう何年も前のことだ。姉の突然の言葉に驚いて妹たちに連絡をいれると、彼女たちも体の調子を崩していた。

病状が進む前に、今のうちに会っておかないと・・・という姉。もう会えなくなるかもしれないからと、暗に伝えたかったのだろうか。それを、コロナは阻む。でも会っておかなくては、これまでの姉への恩を少しでも伝えておかなくては、と気持ばかりが焦る。

そんなときにも、そばで猫は屈託なく眠っている。その背をそっと撫でても、前のように反撃してこなくなった。三毛子もようやく、心を開いてきたんだね。

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