なにかが足りない。

この素敵な椅子に、もしも猫が乘ってひなたぼっこをしていたなら・・・。そんなふうに思った情景だった。芹沢銈介が住んでいた家の前に置いてある椅子。彼の作品だという。

中もとてもいい雰囲気だ。簡素だが、味わいに満ちている。型絵染の人間国宝として知られている芹沢銈介の家。芹沢銈介美術館の中には、彼の作品が展示されている。

美術館の中は、彼が収集した世界の仮面や衣服など、めずらしいものであふれている。

登呂遺跡には猫がいるよ、と聞いたので行ってみると、広々とした公園の敷地に古代の住居が点在し、すぐ近くにこの美しい石造りの建物や芹沢の家があった。

見学を終え、弥生時代の住居がある公園を歩き回ったが、猫がいる気配はなく、係員に尋ねてみると、だいぶ前まではいたんだけど、と言う。はっきりとは言わなかったが、たぶん、餌をやることを禁止したのだろう。

猫が住むには絶好の場所だが、遺跡にはきっと邪魔な存在だったのだろう。でも、海外には猫が住み着いている遺跡もたくさんあって、むしろ人気が高まっているところもあると聞く。

登呂遺跡の博物館の中には当時の暮らしのジオラマがあった。

ちゃんと富士山もあって、当時から富士山はきっといろんな意味で人々の力になっていたんだろうなあという思いがする。そして、はて、この当時、猫はいたのだろうかという疑問がわいてきた。

琴の原型。音楽を楽しむゆとりもあったことを偲ばせる品。暮らしの基本は、今とあまり変わらなかったのかもしれない。
太古の女性たちも、けっこうおしゃれだったようだ。レプリカだけれど、こんなにかわいいものをつけていたんだ。

ここの公園にいた猫たちはどこに行ったのだろうか。このごろ、やたらと猫には厳しいご時世になった。たしかにいろいろ問題はあるけれど、きれいに整備されていても猫一匹いない風景というのは、なにかが足りないという気がしてならない。

 

 

 

 

 

 

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