近くて遠い

庭にかすみそうが咲いた。

かすみそうを映して家に入り、岩合さんの「世界猫歩き」という番組をみていたら、昼寝をしていた三毛子がいきなりテレビの前に。そしてしばらくみつめていた。

中でもこの白猫が気に入った様子。テレビの画面ではこんなに近いのに、相手は、遠い遠いアラブの国の猫。

白い猫といえば、公園猫の姫もまた白い猫。そして、オッドアイ。右と左で瞳の色が違う。ブルーとゴールドだ。

写真は2年前のもの。このごろの姫は傷がたえなくて、以前とは少し様子が変わってきた。この公園の中では2番目に高い年齢だそうだ。それでもまだ痩せているふうではなく、元気なので一安心だ。

【駐車場によくいた黒白猫のなっちゃん。人気者だった。】

痩せてきたなあと感じる猫は、そのうちに姿を消す。姿がみえなくなったあとも、その猫がいたあたりに差しかかると、無邪気に遊んだり寝転がっていたりする姿が浮かんでくる。

その猫がいてくれたときの、あたりを和ませていた空気は公園のそこかしこに残っていて、君のことは忘れないからねと、せめて心に刻みつける。

滝のあたりにいた老猫メッカチは、要領が悪くおとなしい性格で、雨の日でもずぶぬれになって餌を待っているような猫だったが、ドジで愛嬌があった。

やがて、新入りの若猫に追いやられしまい、仲良しのモミジと一緒の居場所を追われてからみるみる元気をなくして、痩せていくのが気がかりだった。

最後に見たのはとても寒い風の日だった。その日、予感があり、せめて最後くらい温かな場所でという思いに駆られたのだが、ちょうど飼い猫に手がかかる最中で、連れ帰る踏ん切りがつかなかった。きっと虹の橋を渡ったあとは、心地よい場所でのんびりしてるよね、メッカチ! だってあんなにもいい子だったんだもの。

ネモフィラも咲いた。

猫にもそれぞれ物語があるのだから、まして人には、さまざまな物語があるだろう。とても近い存在なのにいつまでも遠いまま、手をのばすことができない相手もいれば、知りあったばかりなのに、急に近しくなる相手もいて、物語はきっとそんなところから始まる。

まる子の背中が遠いなあ、とチビ

私と父の関係も遠かった。亡くなってから、もっといろいろ話しておけばよかったと後悔した。父は神経質でいつもピリピリしていたから、近づくと感電するようで、あまり近づかなかったが、たくさんできた孫たちには、私たち子供にはみせなかった笑顔をみせていた。こんなにも人の顔は変わるのだろうかと驚いたものだ。

【とても馬好きだった父。たぶん人間よりも。】

父はあまりユーモアを楽しむような人ではなかった。最後の数日間は呼吸器をつけていたので枕元にノートを置き、言いたいことを伝えていたのだが、すでに意識が混濁していたのか、ベッド脇の妹と私をみて、あなたたちは誰だ、と書いてよこした。

なので、娘だよ、と書いて見せると、父はまたなにか書いてよこし、みると、「あなたがたは若くないから、娘ではない、おばさんだ」と書いてあって、妹と二人、笑ってしまった。最後にかわした言葉には、父が意図しないユーモアがあった。たしかに私たちはすっかりおばさんになっていた。

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