きのう、丘の上に着いて、ふと西のほうをみると、今ちょうど沈んでいく太陽があり、きっかり半分だけみえた。
大きくて赤い夕陽はときどきみることがあったけれど、こんなにきっかり半分の太陽は初めてのような気がする。しかも、空に浮かぶ甘いお菓子のようにもみえて、蠱惑的。
昼間は雨模様で、午後からは曇り。夕方になって少し晴れてきた。それで、餌を食べ終わったチビとまる子に声をかけ、展望台のほうに向かうと、二匹とも大暴れ。誰もいないので、古墳の上を駆け回ったりかくれんぼをしたりして、夜遊び。日頃のストレス解消をしているみたいだった。
日が暮れて、展望台の下には、藤枝の町の明かりがチラチラ。かくれんぼを楽しんだ二匹は、ちょっと一休み。チビは、夜景をバックに、リラックス。こういうふうに天気が悪い時でないと、誰かがいるからさ、なかなかこうはいかないんだよなあ、と言いたげな顔。といっても、暗くてよく見えなかったが。
ぼんやりと霞んでみえる町は、どことなくロマンチックでもある。夏の夜にはカップルがくるが、さすがにこの季節にはそんなこともない。チビには、下界の明かりがどんなふうにみえているんだろうか。
高校を卒業して上京した私が、旭化成という会社に通っていたころ、アパートは新宿駅から歩いて行けるところにあって、仕事からの帰り道、華やかな界隈を横目にして通らなくてはならなかった。怪しげな、魑魅魍魎(ちみもうりょう)の世界を盗み見るようにしながら、急いで通り過ぎたものだったが、職場の人たちには、夜遊びするにはいいとこに住んでるねえとからかわれたものだった。
今思い出しても、あの華やかな明りに満ちた世界はやはり怖い。その界隈に足を踏み入れたら、二度とは戻ってこられない気がした。怖いものみたさの性格も、さすがになりを潜めていた。
丘から帰るころにはもう真っ暗で、懐中電灯を頼りの足許。湿った急坂を下るときには要注意。凸凹の多い傷んだ道で転んで、骨折する人もいるから。
この季節に、けなげにもこんなにもきれいに咲いていた花も、帰るころにはもちろん見えるはずもなく、懐中電灯の、揺れる光の輪のなかに夫と私の二人の足。途中、坂の下から登ってくる光が一つ。いつも夕方遅くに登ってくる初老の男性だった。
明かりのない道に、ぽっと一つ光の輪。なんだかほっとする。それにしても、こんな季節のこんな時間に、一人で登って行く人の中にはたまに女性もいるから驚きだ。
公園の入り口あたりに飾りつけられたイルミネーションは、昨年とほぼ同じ。ちょっとがっかりだが、暗い夜道を歩いてくる眼には灯台みたいにみえる。鳥にとってもそうなのか、水辺に映る光のところには、カモたちが集まっている。