鬼蓮の花
裏庭でセミが激しく鳴いていた。あまりに激しい鳴き方なので、窓からみてみると、二匹が重なりあっていた。燃えつきるほどに激しく鳴いていたのは、相手へのアピールだったのか。新しい命をつなぐことは自分の命をとじること。掟のような自然のなりわい。
短いのは花の命も同じ。見ごろは、やっぱり午前中だ。とくに蓮の花は。夕方に行っても、それはあとの祭りというもので。
鬼蓮は、蓮華寺池を覆いつくすほどに繁茂している蓮とは種類が違い、小ぶりで、花びらの数が多い。
同じ場所の、夕方の鬼蓮。花びらを固く閉じている。
神々しいほどの鬼蓮の花をみて帰るとき、公園脇の博物館の広場では子供たちの太鼓が披露されていた。子供の力をすごいと思うのは、そこにいるだけで生命力を放っているからだ。
家に帰ると、玄関のわきにはクワガタがいて、とりあえず家の中に入れていじると、すぐさま迎撃態勢。息子が小学生のときに、友達とよくカブトムシやクワガタ虫をつかまえてきて、たがいに戦わせていたのを思いだした。
よくみると眼がかわいいなどと、うちのおじさんは言うが、早々に外へ退散してもらった。セミもクワガタも、みんな、夏を激しく生きている。
このごろは、チビまる子のところには、暑さを避けるために、夕方少し遅めに着くようにしているが、この暑さにもかかわらず、丘の上のチビまる子はわりあい元気だ。
チビが見ているのは、木にとまった鳥。このあと鳥は枝を離れて飛んだ。そして、ひらひらと舞っていた蝶をぱくりとくわえた。チビはその鳥を追って駆けだすが、鳥はどこかへ。自然の循環はちゃんとうまくできている。
帰りは、市内の祭りに寄り道をして・・・。まずは好きな太鼓から。
纏いを操るグループもあり、いまどきめずらしいチンドンも。
その横の駐車場では、由紀さおり似の女性歌手が歌を披露。盛り上がっていた。でも声質は美空ひばりに似ていて、とても哀愁があった。ご祝儀をあげる方もけっこういて、ご本人は歌うというより、集金してるみたいだと笑っていた。かなりの年配のようだが、何曲も、しかも三番まで歌うのに、歌詞を全部覚えていらっしゃる。さすが、プロだ。
出店も並んでいて、焼き鳥とビールは定番。団子やらおこわやらと、通りの店はどれも商品を並べていた。それでついつい、食べ歩き。毎朝計っている体重計の目盛りが気にかかるが、それは、あとの祭りというもの。でも、袖ふれあうもなにかの縁という。祭りのなかでだれかれとなく言葉をかわし、熱いものを感じながら家路についた。