ショーンタイム

塀の中から顔を覗かせるショーン君。顔を出す時間が決まっているわけではないらしく、通ったときに出ていれば近づいて話しかけてみる。通りすがりのショーンタイム。ショーン君の瞳は、とても澄んでいる。

撫でると遊びたそうにして体を動かす。車の通りが多い道の脇なので、あまり長くはいられない。少し話しかけて、撫でて、そして離れる。ショーンタイムは短くて、いつともしれないのだ。

 

子供のころ、家にも犬がいた。秋田犬で、名前はカロ。私が学校から帰る時間には、家へと続く坂道で私の帰りを待っていてくれた。私はその日のできごとをカロに話しながら歩き、そうして縁側にカバンを置き、奥の座敷に寝ている祖父にも声をかける。脳梗塞で倒れた祖父は、いつも布団の上に座り、雑誌を読んでいて、私をみると飴玉をくれた。

私のなかでは、犬のカロと祖父はつながっている。祖父は趣味が多彩で、馬や尾長鳥なども飼っていた。鳥の品評会では何度か表彰され、馬の競り市にもよく顔を出し、夜ともなれば仲間たちと囲炉裏をかこんで酒をくみかわしていた。そのころ、私はまだ小学生だったが、その賑やかさは今でもありありと浮かんでくる。

公園の池のほとりにも、さまざまな鳥がいる。夕方になるときまって集会を開く鳥たちもいる。

カワウはよくこうして、夕方になると島に集まって、議論をかわしている。




鳥をみながら池のまわりを歩いていると、あの人、このごろみかけないけど、死んだかね、などという話も聞く。
たしかに、このごろあの人の姿をみないなあと思うことも多い。


通りすがりに、怖い話を耳にしたこともある。「あすこのベンチに、ほら、いつも座ってた人たち、一人ずつ順に死んじゃってね」、などと言う人もいて、それ以来、私はそのベンチには座れなくなった。

そのベンチは、池のそばの鳥居の前にある。さいわいにも、きょうは、鳥居の前のベンチには誰も座っていなかった。人生のショータイムは、とても速く過ぎていく。

 

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