それでも花は咲いている。

オープンガーデンの姫たち


毎日、聞かされる、今日のコロナ感染者数。棒グラフを示して、増えたとか減ったとか言っている。誰もが、感染の恐怖に晒されている。というわけで、オープンガーデンも中止になってしまった。

中止になったことも知らずに、予定されていた近所のお宅に行ってみると、中止の看板が。それで、外側だけでも見て行こうと立っていたら、どうぞ、と言ってくださったので、庭に入らせてもらった。

まず入り口にあったのは、水に浮かんだ白手毬。友達どうし水遊びでもするように、さんさんと日の光を浴びて、世の中の騒ぎなど知らぬげに出迎えてくれた。

玄関へと続くエントランスは、なんとなく南仏っぽい。といっても、私の勝手なイメージだけれど。粋なマダムが、扉の向こうから出てきそうなイメージなのだ。実際、玄関から出てきたのは、白の上下のおしゃれさん。帽子の網目から差し込む日差しが、ほのかに彼女を照らしていた。

手をかけてやると、庭はこたえてくれるものだ。私も山形にいるときは、庭仕事に精をだしていた。現実のそばにあるもう一つの世界。それが庭だと思う。庭に立つと、現実がふっと遠のいていき、土に触れる指の先から大地のエネルギーが伝わってくる。

とても天気がいい日で、どの花も日の光をいっぱいに取り込んで輝いていた。なんて気持がいいんだろうと上をみあげると、白手毬の花が晴れた空にに広がり、コロナ、コロナでしめっていた気持がぬけていく。かわりにすうっと清涼感が満ちてきた。

植物は、みずから動くことができない。だから芽を出した場所で太陽の光に向かっていくしかない。どんな土地や土壌であったとしても、文句一つ言えない身の上。そのため、鍛えられ、淘汰され、しぶとく生き残る。

それで私は、不満がたまったときは、花をみることにしている。こんなにもけなげに咲いているのだと思うと、荒ぶっていた心も穏やかになるからだ。

もしも、コロナみたいな奇怪なもので地球上の生物が滅ぶことがあったとしても、植物だけは残るんじゃないだろうか。そうしてきっと、生物も再生するんじゃないかなあという思いがある。

オープンガーデンが中止になり、ほかの庭はみることができなかったけれど、それぞれの庭に咲く花々が浮かんでくるようだ。ありったけの力を地中に込めていながら、地上に出ている部分はなにげない顔で咲いている花々が。

【去年見せて頂いたガーデンの一つ】

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