帰ろうとすると、まる子がなかなか離れず、あとをついてくるので、いつもの場所まで戻り、しばらく相手をしてやった。そのうちにあたりが暗くなり、みると山の端から、大きくて少し赤らんだ月がのぼってきた。いつもの満月とはちがうなあと思っていたら、あとで、スーパームーンだということを知った。
時間がたつにつれて、赤みはうすれ、小さくなってきた。まる子と一緒にお月見をして、ようやくいつもの場所におちついたのをみて帰ることにした。
月の輝きがこんなにも明るかったとは・・・。と思いながら坂を下っている時、ふっと、煌々とした月明りのもと、山道を車で走ったときのことを思いだした。
山形にいたころのことだから、もう25年以上も前のことだ。注連寺というお寺が湯殿山にあり、寺ではそのころ、夏になると、作家の「森敦」のほか、著名な作家や評論家たちがやってきては文学の話をする合宿が開かれていた。横浜からの移住生活にも少し慣れ、そろそろ退屈していた私は早速行ってみることにしたのだった。
<写真は、注連寺観光案内から引用>
そのお寺はとても古く、森敦の「月山」という作品に出てくる寺だが、即身仏があるのでも知られている。実際に行ってみると、作品に出てきた場面がつぎつぎと浮かんできて、居並ぶ作家たちの話もおもしろかった。
そのときの話は、もうほとんど覚えていないが、帰り道の月の明るさは今でも鮮明だ。夜遅くの帰り道、車のヘッドライトをつけなくても、月明りに照らされる白い道は十分に走れるほどだった。月に指をかざすと、くっきりとその指の形さえも映し出された。
今はこうして丘に通うようになり、月はとても身近なものになった。帰りが遅くなると、空には月がある。
満月の日、生き物たちは不思議な行動をするようだ。家のカマキリも、観葉植物の葉に卵を産みつけた。オスだとばかり思っていたら、メスだった。頭を逆さにし、力を出しつくしているようだった。