海と紫陽花

なにかあると海を見たくなる性格で、海へ行けばたいていリフレッシュするのは、子供のころからだ。初めて海をみたのはいくつくらいのことだったろうか。たぶん、小学生にあがるころだったように思う。

親戚の家が漁師で、大漁旗をなびかせながら港に入ってくるのをみていた記憶がある。

小学校の遠足で海に行ったときは、磯辺のイソギンチャクに夢中になって、はぐれてしまい、焦った記憶もある。岩場の多い海岸で、岩のかげにはイソギンチャクやヒトデもいた。初めてみるイソギンチャクに興奮し、ゆらゆらと揺れる触手に触れてみたり、真ん中の穴の中に指を突っ込んで遊んだりしているうちに、みんながいなくなっていることに気づかなかった。

あのとき、自分だけが取り残されてしまったことに気づいても、私は動けなかった。なぜなら、イソギンチャクの中に突っ込んだ指がどうにも抜けなくなってしまったからだ。一人取り残された恐怖よりも、突っ込んだ指が融けてしまう恐怖のほうがはるかに大きかった。このまま、右手の人差し指がなくなったらどうしようかと。

修学旅行の時にも、自由時間を終えてバスが出発する時間に遅れるのはたいてい私で、担任の教師によく、またお前か、と何度も叱られた。今にして思えば、まわりにはずいぶんと迷惑な話だ。何かに夢中になると、時間もなにもかも忘れてしまう。

ひさしぶりに塩の匂いに浸り、あれこれと海にまつわる記憶を思いだしたあとは、近くにある大鐘家の紫陽花を見に行った。大鐘家というのは、国の重要文化財になっている庄屋屋敷だ。紫陽花や吊し雛で知られている。前にもきたので、今日は中には入らずに、紫陽花をメインに。

大鐘家は、賤ヶ岳の戦いで秀吉に敗れて自刃した柴田勝家の家臣だった大鐘平八郎貞綱が、1597年に福井からこの地に移り住んだことから始まる。天候に左右され、収穫を得るまで長い時間がかかる農業だけでは、らちがあかない。漁に出て魚を取れば、すぐにも日銭が稼げる。そこから財を成したという。

庭や裏山には、紫陽花が全部で12000株。

【これも紫陽花】

去年も見たが、今年も紫陽花ロードにはたくさんの花が。

紫陽花ロードからも、海が見えた。海も豊か。温暖な土地は豊饒。北国の痩せた土地にしがみつき、天候に一喜一憂していた農家に生まれた私などからみると、この土地や海は、なんと恵まれていることだろうか。

富士山のこんなガラスの絵もあった。ちょっとメルヘンチックなかわいい絵。豪華なものより、こういうのがいいな。

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