900キロ大移動

*******大阪へ*******

引越しの準備をしていたとき、花束を抱えてきてくださった人がいた。その人が、「私の行く道をみててね」と言って笑ったとき、意味がわからなかった私は、それは大移動をするこっちのセリフだと答えたが、だいぶあとでその意味がわかった。花束にうずまりそうなその人の、ほのじろい笑顔を忘れることができない。

山形から大阪の郊外までは、およそ900キロの道のり。当日、引越し業者を見送ってから、業者には預けられない荷物、猫を入れたケージやトイレなどを積み込むと、大きめのワゴン車の車内もいっぱいであった。後始末や挨拶などをすませると、もう3時を過ぎていた。夜中の走行になる。

いよいよ900キロの大移動のスタートだ。走り出してまもなく、母から携帯に電話が入った。猫たちのすさまじい鳴き声に、赤ん坊が泣いているのかという。猫だというと、驚いていた。なにしろ、猫の声がすさまじくて電話の声もろくに聞こえない。親というものはつくづくありがたいものだ。天の知らせのように、こっちが大変なときに助けの声をくれる。

山越えをしてまずは新潟に入り、北陸自動車道、名神高速、近畿道、西名阪と、高速道路を乗り継いでいく。猫たちは少しも眠ろうとせず、ずっと鳴き続けた。夜のせいで、高速道路は両側がトラックばかりで煽られる。だが、夫は負けじとバンバン飛ばした。ひさしぶりに夫を見直した夜になった。

大阪の郊外、河内長野というところに着いたときは、すでに空は明るんでいた。出発してから12時間だ。ときどき休みながらも夫は一人で運転を続けた。雨で、坂の町はしっとりと濡れていた。坂の途中の古い家が、これからの住まいだった。

ここはどこだ? いったい、何が起きたんだ?

ほどなく、引越し便のトラックがやってきて、荷物の搬入。荷物はかなり処分してきたので、案外早く終わり、とりあえず猫たちの居場所を作ってやることにした。山形の家で慣れ親しんでいたキャットタワーを設置。ようやく、猫たちも鳴きやんだ。

そしてその夜は、猫と一緒にベッドに入った。それでも猫たちは、一晩中落ち着かなかった。環境がまるで違うのだから無理もない。どうか、慣れてくれと祈る思いだった。

大阪に越してからも、引越す前に花束を抱えてやってきた人とは、ごくたまに電話をかけあっていた。とても親しかったというわけでもなかったのに、ある日、「あなたがいてくれるだけで、私にはとても支えになっていた」と言ってもらい、面映ゆかった。そして、翌年、彼女の訃報を知った。癌だったそうだ。行く道、という意味に気づかなかったことがひどく悔やまれた。