*******山形にいたころ*******
卵の配達をするついでにデッキでコーヒーを飲んで行くヨシさんは、環境に関する本を出し、猫ダチのねこちゃんは知的障害者の施設で働き、ジャランのおじさんもあいかわらず腰に鍵をジャラジャラさせながらはりきり、みんなそれぞれに活躍していたが、私は毎日、猫と一緒にのらくらと、庭仕事や、少しばかりの畑を耕しながら過ごし、数えれば、なんと、山形に移住してから10年近くたっていた。
田舎暮らしに憧れていた夫が、さいわいにもこの土地の会社に引き抜かれて横浜から移住し、永住するつもりで家を建てた。庭にも手をかけてきたが、私たちは、ここでの暮しに限界を感じていた。いまどき、3代にわたって住まなくてはよそ者扱いからぬけだせなんてことは信じがたいことだし、それ以上に、雪のことを甘くみすぎていた。雪が深い季節には外に出ることが大変で、孤独感がつのる。3世代同居の近所隣りから賑やかな声が聞こえてくると、なおのことだった。それに、心を決める出来事もあって、私は一人でもこの土地を出て行くことを考えていた。
夫が仕事にでかけたあと、積もった雪を裏まで運び、水路に流しているときだった。雪は私の足で踏み固められ、つるつるになっていた。もう少しで終るという時、足を滑らせて水路に落ちた。水は腰の下くらいまである。足を踏ん張っていても流されそうになる。しかも凍った雪のかけらも流れてくる。岸はコンクリート、上には雪が積もって、掴まるところがどこにもない。
大声で近所に助けを呼んだが、どれほど声を高くしても、聞こえないのか、誰も出てこない。このままでは死ぬ。体はどんどん冷えていくばかりで、途方にくれてあたりを見回すと、指をのばせばどうにか雪かき用のスコップに届きそうで、それをなんとかたぐりよせて水路に立て、支えにしてようやく這い上がった。
そのときだった。「よそ者の子は溺れていても助けない」という言葉が頭をよぎった。昔、そんなことがあったと聞いた。まさか、声が届かなかっただけだろう。否定しても、私の中に生まれた恐怖は消えなかった。あと数センチ、スコップが離れていたら助からなかった。
そんなときにも、猫たちはあいかわらず好き勝手にし、無邪気で、それが救いだった。猫たちにとっては、ここ以上にいいところはないはずだ。楽園にちがいなかった。それを自分たちの都合でとりあげてしまうことが、なによりも気がかりだった。