花火大会の日
毎年、8月7日、市の花火大会が公園で行われる。丘に登る坂道の途中からも、仕掛け花火があげられる。なので、当日は朝から公園内は立ち入り禁止になる。それでいつもは夕方近くに丘に登るのを、早朝にした。
朝、坂道を登って行くと、当然のことだが、会う人たちがちがう。顔ぶれがちがうだけでなく、まとっている空気までちがう。夕方に会う人たちはものしずかに通りすぎていき、向こうからこんにちはと声をかけてくる人は少ない。なのに、朝の人たちのなんと元気なことだろう。「おはよう」と笑顔で声をかけてくる。活力があって、気持がいい。こちらも笑顔になる。朝と夕とでは、人は、こんなにもちがうのだ。
猫たち、食事のあとは、いつものように毛づくろい。今夜すぐそばで響きわたる轟音のことなど知るわけもない。
ねえ、暑いからってさあ、あんた、なんかふてくされてない?
別にぃ。おれ、いつもこんなだしー。
こんなふうな感じのチビまる子をあとに、規制が始まった道を帰った。夜の七時からは、ドカンドカンとすごい音が6キロ離れた我が家にも響いてくる。でも、チビまる子にとって、花火は二年目。だから大丈夫だろうと思っていた。
そしてけさ、毎朝、丘に登る人から、まる子がどこにもいないという連絡がきた。昼近くに登る人からも、いないというメール。不安になっていつもよりも早くに家を出て登ったが、やはり出てきたのはチビだけだった。まる子を探し始めると、チビが、展望台の下の草むらあたりで座り込む。きっとここだろうと、呼んでみるが出てこない。何度呼んでも気配もない。悪いことがつぎつぎと浮かび、時間ばかりが過ぎていく。ついに日が暮れかけて、諦めて帰りかけたとき、ふいに、まる子の声がした。餌をやると、よく食べた。ほっとして帰ろうとすると、まる子はいつものお気にいりの石の上から見送っている。
「またあしたね、まる子」そういって振り返ると、まだこっちを見ている。なんともの騒がせで、そしていじらしい猫たち。坂をおりはじめると、空が赤くなっていた。
おりて行く坂道は、ひぐらしのせみしぐれ。ここぞとばかりに鳴くその声は、いつもなら切なさをともなうのに、今日はなんだか癒される。下までおりたときにはあたりはもう、暮れていた。