猫の勲章

オス猫にとっての顔の傷は、戦いの勲章なのだという。それは果敢に戦った印であるからで、逆に、尻の傷は恥なのだそうだ。逃げようとして、後ろからやられたからだ。

その話からすると、マロンの鼻のカギ型の傷は戦いの印ということになる。飼い主としては、喧嘩しないで仲良くしてくれたほうがよかったのだが。

マロンは引越すたびに近所の先住猫と戦って、なんとか自分の縄張りを確保してきた。そのせいか、やたらと喧嘩っ早い猫になった。

家にきたばかりのころは、とても甘えん坊で、先に逝ったプリンにも甘えてばかりだった。



それでも餌を食べるときは、二つ並べて置いてもプリンを優先し、早く食べ終わるプリンがマロンのも食べようとするときにはプリンに譲り、終わるまで待っている。そして、ほかのオス猫がプリンに近づいてちょっかいを出そうとするときには、必死で守ろうとして戦った。

プリンが14歳で虹の橋を渡ったあとはプリンを探し続け、ずっと待っている様子だったが、ある日、洗濯物を干そうと庭に出てみると、マロンはこんもりと砂利が盛り上がったところにじっとしている。

近づいてみると、プリンのトイレのあとだった。プリンはトイレをよく庭でしていて、すませたあとに細かな砂利をかぶせていたのだったが、その小さな手のあとまではっきりと残っていた。マロンは、プリンの匂いが残っている場所にいたのだ。マロン、もういいよ、と言いながら、また涙が出た。

それから一年近くたち、夫の仕事の都合で静岡に引越すこととなった。前回、山形から大阪に引越したときは950キロの道のり。車の中で二匹はずっと抗議をし、叫んでばかりだったが、今回はマロンだけで、距離も350キロと前回よりはだいぶ短かったから、マロンは思っていたよりも騒がなかった。

マロン、15歳。プリンと同じように、やはり腎臓の働きが弱くなっていて、こちらの病院を探し、自宅での点滴は続けることにした。プリンがいたときにはあれほど騒いで抵抗していたというのに、プリンがいなくなってからはおとなしくなっていた。騒いでももう、プリンはかけつけてきてくれないからだ。

いぶ、痩せてきていたが、それでもまだ縄張りを守るべく、自分の家に近づく猫とは戦い続けた。けれど、年を取れば喧嘩も弱くなるのはあたりまえで、顔ではなく、尻に傷を負うようになった。

それでもマロンは、それから10年近く、ほぼ25歳になるまで生きることになった。人間の年齢でいえば、120歳から130歳くらいということだろうか。  

 

 

 

 

 

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