ペンギンハウス

とても気持よさそうに、日差しを浴びるアシカの子。眺めていると、こっちまで、トロンとしてくる。

ペンギンの島には、ハウスがいくつかあって、食事が終わるとハウスに入って行く。でも、ハウスとペンギンの数がうまくつりあっていないようで、入れないものも出てくる。先に入っているものが、あとから入ろうとするものを押し出したりする。


それで、押し出されたペンギンは、なんとなく、しょんぼり。

つい、しょんぼりペンギンに共感してしまう。私も子供のころから、押し出されるほうの側だったからだ。

そんな性格の私を気にしてくれる友人がいた。以前に大阪まで訪ねてきてくれて、水掛不動さんに一緒にお参りした人だ。突然、その友人の訃報が届いたときは、途方にくれるような気持になった。

大阪で会ったときの彼女は、あまり元気がなかった。まわりを引っ張っていくような姉御肌だったのにと、なんとなく気になっていた。近くに引越してきたから、近いうちに会いに行くよと言っていた矢先のことだった。聞くと、彼女はずっと鬱ぎみで、車の運転中の事故だったそうだ。

動物たちを眺めていると、気持が軽くなるのはなぜだろう。彼らは与えられた場所のなかで、少しでも心地よいところを探して遊び、なんも考えていないようにみえる。それがいい。

テンの母トラのミーは、さすがの風格。縞の模様がなんとも美しい。このころはまだ、我が子のテンとは顔をあわせていない。親子、隣りどうしで檻に入っているから、気配は感じていたのだろう。

それでもやっぱり、しぐさは猫。そういえば、その友人も猫好きで猫を飼っていた。偶然にも、名前をミーといっていた。飼い主を失った猫のミーは、息子さんがひきつづき面倒をみるらしく、安心した。

落ち込んだときに話せる友人はそういない。私はいまだに、携帯電話から彼女の番号を消すことができないでいる。

テンは、半年ちょっとで、こんなに大きくなっていた。

眼の上のハートマークがテンの印。こんなに大きくなってもまだ飼育員さんに甘えたがっていた。体はでかくなっても、まだ一歳にもなっていないんだもんなあ。私も、こんな年になっても、ときには甘えたくなるもの。

 

 

 

 

 

 

 

 

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