爛漫
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鮮やかなのは、桜だけではない。新緑のみずみずしさも眼にしみる。
初対面
朝、カーテンをあけたら、東隣の家の窓にすずちゃんがいた。窓ガラス越しにじっとこちらをみていた。おそらく、三毛子とは初対面。
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三毛子「あれっ、なに、あなたは誰?」と言っているふう。 すずちゃん「そっちこそ、誰なんだよ。みない顔だけど」という感じかな?
すずちゃんは、ほとんど外には出ないので、外で暮らしていた三毛子とはたぶん会うこともなかったろう。三毛子もまた、びっくりしている様子。
私の方を振り向いて、ねえ、こいつ、なんなのよという顔の三毛子。そのうちに飽きたのか、三毛子は出窓から降りて一人遊び。
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それからまたしばらくして、もう一度みにくると、やっぱりすずちゃんはまだいる。
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なに、まだいるの? といいたげな三毛子。
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窓の向こうの猫の名前はすずちゃん。でも、れっきとしたオス。三毛子が窓から降りたら、すずちゃんもそのあとしばらくして消えた。
出会いは多い方がいい。気のあう人がそこから出てくる。私はどちらかというと、友達も一人とか二人に集中するタイプだった。それが、相手にはきっと重すぎるのだと気づいたときには、だいぶ年齢を重ねてからだ。
きょうだいが多く、大家族の中で育った私のそばには、いつも誰かの気配があった。そんな環境で育ったから、一人でいると不安になった。寂しがり屋だった。
おとなになり、引越しを何度かし、見知らぬ土地や人々とつきあうことになり、そのたびに失敗を繰り返したり、とことん寂しさを味わったり・・・。今は、あっさりとつきあうのがいいんだろうなあと思うようになった。
静岡にきたばかりのころにも、ある人に、新しい友達はいらないのよ、と言われたことがある。そのときはショックだったが、あとで自分も楽になったから、きっと無理をしていたんだろう。なにか違うという気はしていたけれど。
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春がすみの夕空に、満月。
以前に、ある教室で教わった話がある。中国に伝わる古い話で、昔々、混沌、という生き物がいたのだが、あまりに混沌としているそのさまをみて、人々が形を整えてやろうとし、はっきりさせようとしたら、その混沌という生き物は死んでしまったのだという。どこか混沌としている春がすみをみていて、そんな話を思いだした。