なっちゃん

なっちゃんと呼ばれている猫がいる。じつは私にもなっちゃんと呼ばれていたころがあって親しみを感じているが、この猫はオスだ。なのに、なぜかなっちゃん。

公園のなっちゃんは、黒白の模様がおもしろい。きわめつけは鼻の模様。まぬけ顔というか、ふざけ顔というか、とにかく、そんな顔で人通りが多いところでも平気でごろんと横になるような、天真爛漫猫なのだ。 

そして、こうみえてとても人懐っこい。野良猫にありがちな警戒心があまりなくて、かわいがってくれそうな人には誰にでも寄って行き、ころころと転がって、腹までみせている。おいおい、そんなに不用心でいいのかい、と声をかけたくなるほどだ。

去年、似たような模様の新入りが入ってきて、けがをしたその猫が居場所をみつけられずにうろうろしていたところを、なっちゃんは自分の縄張りに受け入れてやった。

しっぽの怪我がただごとではなく、虐待の末に捨てられたのではないかというのが一致した意見だった。じきにクロシロと呼ばれるようになり、病院に連れて行ってくれた人もいたし、餌やりのボランティアの人が薬を与えたりしていたが、ある日ぷっつりと姿を見なくなった。

だれかいい人に連れて行ってもらえたのならいいけどね。この猫を気にしていた人たちは口々にそう言っていた。

そしてなっちゃんは、シロクロがいなくなってもあいかわらずひょうきんで、「くるものは拒まず、去る者は追わず」という様子。

ここにはそれぞれの縄張りがあって、新入りがこの中で暮らすのは簡単ではないようだ。それでまる子も丘の上まで登って行ったのだろう。子猫はわりあい引き取り手がみつかるそうだが、大きくなった猫はむずかしく、ここで暮らす時間が長くなればなるほど、引き取り手はいなくなるというのが現実だ。

その中でも、モミジとメッカチは寄り添って暮らしていたが、若い新入りのオス猫に縄張りを奪われたメッカチは元気をなくして、昨年、虹の橋を渡った。

なっちゃんは、今日も駐車場のあたりをパトロールしていた。

人間のメスである私は、なっちゃんと呼ばれていたころは、化学メーカーの研究室で補助的な仕事をしていた。そのころはまだ社会にでたばかりのころで、毎日が好奇心と刺激に満ちていて、猫や犬どころではなかった。

東京の品川のアパートに住んでいたそのころ、道を隔てた隣りの家には、樹木の多い広い庭園が広がっていた。休みの日に、コーヒーを飲みながら、その景色を部屋から眺めるのが、ほっとできる時間だった。政界を引退した政治家の家だと聞いて、納得した

 

 

 

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