夏の匂い

春には春の、夏には夏の匂いがある。夏の匂いといえば、草の匂い。むっとするような草いきれ。横浜のマンションに住み、舗装された道を歩くばかりの暮しをしていたころは、自然の匂い など感じることもなく、通りのショーウィンドーの飾りつけやファッションの中に季節をみいだしていた。

国道のそばにあったマンションの窓をあければ、車の音が響いてくる。それでも、マンションのゴミ置き場には好きな時にゴミが捨てられるコンテナが並び、常駐の管理人がゴミの始末や共有部分の清掃もしてくれていた。宅配の荷物も預かってくれたし、忙しい身にはとても助かるシステムだった。誰にも会いたくない気分のときは、夜中にゴミを捨てることもできた。

そんな暮らしから、いきなり山形の田舎に移住したときは、あまりに濃密な緑の匂いに窒息しそうな気分だった。

(裏の林で、ひねもすのたりのたりしていた昔猫のプリン)

でも、人はたいていのことには慣れるものらしく、しだいになじんでいき、たまに都会に出て行くと、すぐに帰りたくなった。いつのまにか五感が磨かれていて、空気の濁りに敏感になっていた。家に帰り、深夜、裏の林から聞こえてくる風の音や小さな生き物の足音を聞いては眠りについたものだ。

季節の匂いがない暮しは味気ない。マンション暮らしのときには、窓をあけても季節の風の匂いがしなかった。どこの部屋かはわからないが、夏になると風鈴を吊り下げる人がいて、その音が木霊のように建物に反響し、問題になったこともあった。

そのころの友人は私のことを、「あなたときたら、みんなが忙しくしているときにも知らん顔で、一人だけ隅っこで本を読んでいるような人だよね」と、なかば皮肉まじりに言った。きょうだいにも、家の手伝いをせず、いつもごろごろしていた怠け者だったと、いまだに言われる始末。体が弱かったから特別に扱われていたようで、おとなになってからも、怠け者の体質は変わらなかった。

怠け者の本質は相変わらずだが、それでも、今は毎日歩いている。紫外線が肌に悪いのは気になるが、チビまる子がいる丘の上を吹き抜けていく風の魅力にはあらがえない。怠け者だからこそ、風や空の微妙な変化を感じられるのかもしれない。

それにしても、草の中に寝転んで本を広げていた子供のころの、夏の匂いがなつかしい。ある日、子供の私よりもはるかに伸びたトウモロコシ畑を駆け抜けていき、ふっと空を見上げたことがあった。あのときの空は、おそろしいほどに深かった。

この空は、この一瞬のもので、どんなに同じ条件が揃ったとしても、二度とはみられないものなのだと、感じたからだ。

 

 

 

 

 

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