去り行くものたち

ひさしぶりの、富士山

かなり霞んでいるけれど、ひさしぶりの富士山だ。秋から春にかけては、晴れていれば毎日のように見える富士山も、湿度が高い夏の季節にはなかなか見ることがない。それでも昨日は風があったせいか、ひさしぶりに見えた。

毎日、古墳の丘の上まで登っていると、いろんな人に会い、そして人はまた去って行く。春、夏、秋、冬と、日々、とても元気な顔を見せていた人が、ある日をさかいにしてこなくなることがある。

             春、桜の花びらの坂道あれっ、あの人、今日はどうしたのかなあと気にしていると、それっきりになることが多い。連絡をとるほどの間柄でもないから、またいつか会えるのかなあと心待ちにするだけだ。

笑うときの表情がとてもいい人がいた。なにかとても奥の深そうな、穏やかな顔の人もいた。癌の手術のあとや脳梗塞のリハビリのために丘の上まで登り、回復をしたと言っていた人たち、ユーモアがあって、すれちがうときにいつも笑いをとりたがる人、スケッチブックを持ち歩き、丘の上で絵を描いていた人もいた。

見慣れた風景にとけこんでいたように思えていたその人の姿が、ある日、消える。やがて、その人の姿がない景色には慣れていくが、折々にかわした言葉や笑顔は、そこかしこに残ったままだ。

ひぐらしの夏

                 風の秋

                冬晴れ

たしかな繋がりはないのに、同じ季節や情景を共有した人たちが残したものは、その人が突然にこなくなったその季節になると、ふいに浮かんでくる。そして、いつかまた姿をみせてくれるのではないかという淡い思いもある。

まる子もときおり、なにか思いだしているような、考えているようなそぶりをする。猫にも、思い出というものがあるのかもしれない。丘の上から下をみおろすまる子の背中は、どこか寂しげだ。