収穫

田圃と思われるところにたくさんの人が入り、なにやら摘んでいる様子。なんだなんだ、いいもんでもあるんかな、それなら私も欲しいと、欲と好奇心がむくむく。それで車を停めて眺めていると、一人のおじさんが田圃から出てきた。おっ、いいタイミングだ。

「みなさんで、なにか取ってるんですか?」と尋ねてみる。すると、「カネ」と答える。「えっ、カネ?」と問い返すと、「種だ、コスモスの種」とにやにやと笑う。

これがコスモスの実。これを収穫しているところだという。どうしてカネっていうかというと、売れば収入になるからだという。「まっ、みんなで持ち回りで毎年、誰かの田圃をコスモスでいっぱいにするんだよ」。

恰幅がよく、肌の色艶もいいおじさん。いかにも土地の顔役といった感じのおじさんは、「来年は、あの橋の向こうの田んぼにきまってるんだ。今度は咲いてるころにきな、そこら一面コスモスの花でいっぱいだよ」と教えてくれた。なるほど、そういうことか。

一面の田圃に、一面のコスモス。花が咲いているころにきていたら、圧巻だったにちがいない。来年はきっとこよう。もちまわりで、コスモスの花のために田圃を提供しあうというのもいい話だ。

                    静岡新聞 アットエスより引用

この収穫を眼にしたのは、前にもときどき訪れた瓢月亭に行く途中の道だった。おじさんの話を聞いていて、頭に浮かんだのは、実家の田圃の稲を収穫するころのことだ。

刈り取った稲束を、ハセという何段にも重なった竿のようなものにかけていく。ハセ架けという作業で、家族総出でやるのだが、私はハセにまたがり、妹たちが投げ上げる稲束を開き、かけていく役目。上の段まで行くと、下から投げ上げる稲束が届かなくなる。しっかり投げてよ、とみんなでわいわいしながらの作業は、けっこう楽しかった。

瓢月亭に行ったのは、もみじがきれいだろうなあと思ったからだが、静岡の紅葉は穏やかで、北国のような激しさがない。

風景というのは、そこで暮らす人にも影響を与えるものかもしれない。秋になると紅葉で真っ赤に燃え立つ山々をみたあと、厳しい冬を迎える土地で暮らす人々は、胸のなかにも激しさを抱えている気がする。

富士もいよいよ冬の顔をみせるようになってきた。

今日の富士。笠をかぶっている。

いつもまる子のかげにいて、ひっそりとした佇まいのチビだが、ときおり、おもしろいことをする。

そして、二匹はシンクロする。チビとまる子の猫まんじゅうの季節も近い。寒い時にはくっつくにかぎる。

 

 

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