お正月はまだだけど

正月飾り 創作粘土 ラビット

風が吹きすさぶ日には、外に出たくない。雨が降る日はまして出たくない。それが本音だ。でも、時間がくると、やっぱりリュックを背負って出かけていく。それなのに、猫たちは、誰かに餌をもらったらしい時にはまったく食べず、なんだかやけによそよそしい時もある。けれども、たまに、こんな顔をみせる。ふわっと気持がゆるむ。

それに、荒れた天気の時に行くと、おだやかな日にはみることのできない情景に出会うこともある。たちのぼる虹や、雨上がりに差し込む光など。心に残ることが多い。

来年は子年だ。「創作粘土 ラビット」の展示会の作品にも、ネズミがいっぱい。金色の俵運び。我が家にも少し分けてね。

そういえば、カピバラもネズミということに、11月の金子さんの展示会に行って気づいたんだった。(まったりと、の項 11月15日に掲載)

金子高見さんの作品から

静岡は雪が降らないけれど、北国は雪だろう。並んでいる作品の中にも、雪が降っていた。

かさこじぞう(表情がかわいい)

これはクリスマスプレゼントをみせあっているようだ。楽しい作品

子供の時、クリスマスと正月はなんだかいっぺんにうれしいことを運んできてくれるようで、毎年、心がはずんだものだった。クリスマスプレゼントといっても、私が子供のころはみな実用的なものばかりで、学用品とか新しい手袋とか。なにしろ兄弟が多かったから、さぞ、親は大変だっただろう。

この作品は細部まで、こまかく創られている。めだたないが、奥には白猫、垣根のところには黒猫がいる。

みんなでクリスマスソングかい?

暮れになると父は松の枝を切ってきて、そこに正月飾りをみんなでぶらさげ、それを神棚の両側に飾った。餅をつく日も大忙し。普段は小屋の隅で埃をかぶっている臼は、ようやく出番となり、兄が杵をふりあげる。つきあがった餅は女たちが伸ばして丸や四角の餅にする。つきたての餅はいくらでも食べられた。

この作品は、かまくらのなかで餅を焼いている。ちゃんと餅に焼き色がついている。

手伝いもそこそこに、友達と雪原と化した畑にくりだして、男子が作っておいたジャンプ台の上から滑り落ち、距離を競争。日が暮れても帰りたくないほど夢中になったもので、暖房もろくになかった時代なのに、不思議と寒さをあまり感じなかった。

子供のころは、年がかわると、きっとなにかとてもすごいことが待ち受けているようでわくわくしたものだ。でもいつのころからか、こじんまりと、悪いことがあまり起きないようにという願望に変わってしまった。なのに今年は、つぎつぎと大きな波がやってきた。くたびれたが、それゆえに、人の温かみにも出会うことができた。心に刻まれた年になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

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