シャルルアズナブールとエディットピアフ

昔、昔の話です。私も、まだとても若くてきれい?? だったころの話です。高校を終えて上京して、一年がたったころでした。

そのころ、私は、銀座の並木通りという、しゃれた店が並ぶ界隈にあったフランス料理店でアルバイトをしていました。店にはよくシャンソンが流れていました。

勤務には、早番と遅番がありました。私はまだ未成年だったので、遅番でも夜の9時には仕事が終ったのですが、帰りかけるころになると、テレビでみかける有名な女優さんや、政治家の方がやってくるのでした。

そのレストランは、通りから降りる階段をはさんで、食事をする場所と酒を飲む場所が分かれていて、未成年の私は、酒を出す方には入ってはいけないことになっていました。仕事が終わり、私服に着替え、階段を昇ろうとして横をみると、そういう方々がいたものです。

青森県は八戸市というところ、それも市街地からはずいぶん離れた田舎で育った私には、そこはとんでもない世界でした。初めは現実とは思えませんでした。えっ、テレビでみたあの人が眼の前にいる。その現実がなかなかのみこめませんでした。

そんな店でも、ランチタイムには、けっこう庶民的な感じになり、忙しかったものです。先輩のウェイトレスたちはみんなベテラン。私は一番年下でのんびり屋なものですから、なかなかまわりの忙しさについていけません。でも、先輩たちはドライだったけれど、意地悪ではありませんでした。みな、白のブラウスに黒のタイトスカートという制服が板についていました。

私の一番好きな仕事は、バニラのアイスクリームを、どれだけきれいな丸になるように、そぎ取れるかということ。慣れてくると、まあるい形に、ガラスの器に盛りつけることができるようになりました。

オーナーは、でっぷりと太った中年の紳士。コース料理の順番や料理を出すタイミングにはとても厳しいかったのですが、よく頑張った月には、特別手当を出してくださるほど、気前のいい方でもありました。そして、未成年だった私のことを心配し、みょうな男がつきまとったりすると、厳しく注意もしてくれました。

フランス料理を出す店なので、かかっている曲はシャンソン。シャルルアズナブールとか、エディットピアフとか。田舎者だった私はもちろんシャンソンなどというものは知らず、あまり好きではなかったのですが、いつもいつもそういう曲ばかりが流れているものだから、しらずしらず口ずさむようにもなりました。そして、シャンソンという、あの独特な語り口が耳について離れなくなりました。

そんなふうだったので、私はそこの職場が好きになり、ずっとここで働けたらと思ったものです。けれど、親に内緒での仕事だったので、いつしかバレてしまい、しぶしぶやめることになりました。

最近、シャルルアズナブールが亡くなったというニュースを聞いて、その人の曲がよく流れていた、あの店のことを思いだしました。銀座、並木通りのなかほどあたり、地下へと降りて行く青い絨毯の階段は、別世界へと降りていく階段だったのかもしれません。今でもときどき、ふっと、耳にメロディが浮かんでくることがあります。

そうそう、そんなしゃれた通りにも、野良猫がいたものです。ニャッとかすかに声がするので、みると、ビルとビルのあいだ、細い通りに猫がいました。猫は私が帰るころをみはからっているようで、銀座の野良猫も、必死に生きていた感じでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

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