帰ってきたよ。

点滴のしずくが規則的に落ちるのを眺めていたら、一刻、一刻の時のように思え、過去のできごとが、ポタポタと私の上に落ちてくるような気がした。

29日の入院。この日は忙しい日となった。麻酔科医、執刀医師、看護師、それぞれに説明があり、けっこう大変。すべて終わり、夫も帰ったあとは、部屋の中を整えた。トイレ付きの個室は広々として、収納も十分だ。(ちょっと高いが、トイレつきの部屋はどうしても必要だと思われた。そして、それは正解だった。)

まずは、家から持ってきた猫つきの人形を窓際に置いた。これは、腹が立ったりいらいらしたりするときに眺めることにしているものだ。部屋の窓からは、網戸越しに建築中の新棟がみえた。その日の担当の看護師は、テニスの錦織選手によく似たイケメンの青年。その人にかぎらず、なぜかほかの看護師たちもきれいな人ばかり。驚いた。

翌日が手術日。私の順番は一番最後、2時半ごろと伝えられた。手術を控え、夜になると気持が高ぶって眠れず、入眠剤をもらい、友達の手作りのマロンと一緒にようやく眠りについた。プリンには家を守ってもらうことになっている。

当日は早くに眼がさめてしまい、待っている時間の長いこと。テレビをみていてもなかなか時間がこない。麻酔の関係で、朝から絶食。水分も朝で終わり。なにもすることがないままにひたすら待ち、ようやくお呼びがかかって手術着に着替え、看護師さんと一緒に歩いて手術室に向かう。

手術は二時半から。中に入ると、テレビでみるような手術台が煌々とした照明の下にあり、ふと部屋の隅を見ると、NHKの大河ドラマ、「西郷どん」の主人公を演じた、鈴木亮平似の執刀医が腰をかけ、ロダンの「考える人」みたいな姿勢で集中している模様だ。いつもとは違って、厳しい顔をしているのを見て、「先生、そんなに緊張せんといてください」と声をかけたくなった。

手術台の上には、無圧布団のようなマットレスが腰のあたりにあり、そこに横たわる。するともう次の瞬間にはなにか口のあたりにかぶせられ、そのあと、たいして時間の経過の自覚もないまま、名前を呼ばれたので眼をあけると、左の鼻のあたりが痛い。「えっ、マジ、これから手術なのかよ」と思っていると、すばやくベッドに移されたので、ああ、終わったんだと納得。全身麻酔というのはすごいものだ。

エレベーターに乗り、部屋まで運ばれて、それからが苦しかった。麻酔がきれるころは痛いのと吐き気が同時にきて、そのうえ、チューブをつけてあるけれど、おしっこをしたいのに、出ていることが感じられず、悪戦苦闘していると、妹夫婦がきてくれたらしく、妹とその夫の顔がちらちらみえ、妹は、「ドラマみたいにしてあげる」と言い、私の手を自分の手でくるみ、なんやら撫でさする。いやいや、今はそれどころではないと言いたかったが、なにしろ、鼻には呼吸のチューブがあり、口は腫れているのか開かないうえに声も出ない。でも、きてくれて心強かった。

その夜は寝ては覚め、覚めては寝ての繰り返しで、おしっこの管が取れて、トイレに行けるようになってからも、麻酔の影響で、体中の機能がまだ覚醒していないらしく、なかなかおしっこは出ず、大変な思い。それでも朝にはなんとかできるようになった。かぞえきれないほどトイレとベッドを何度も往復。やっぱりトイレつきの部屋にしておいて助かったあ。

痛みが相当きついと聞いていたが、覚悟していたほどではなかった。ただ、やはり、術後3日目になると、頬の腫れはピーク。鏡を見ると、口が右に寄っていた。朝の血圧、体温、抗生剤の点滴が終わると、あとはなにもすることがなく、退屈でしかたがない。

行くところといえば病院内にあるコンビニくらい。文庫本のコーナーで藤沢周平の「橋物語」を買い、ベッドの上で読むことに。さすがにうまい小説ばかり。読後感がいい。どんどん先へと進み、頭の中もだいぶおちついてくる。

腫れは徐々に引いて、退院の日も早めにきまった。術後5日めの退院となった。雨だという予報にもかかわらず、朝は晴天。見事な秋晴れ。静岡の街では例年行われる大道芸でにぎわっているようだけれど、大事をとって、寄ってみるのはやめにした。

同じ青森の出身である寺山修司という作家が、「病院は人生の学校だ」となにかに書いていたっけ。彼は腎臓病で入退院を繰り返していたようだ。本当にそうだなあと思うことばかりだった。病棟の処置室には、朝、入院患者が集まってくる。とても小さな赤ちゃんから、口腔がんだという年配の人まで。それぞれに深い事情を抱えている様子がした。

家に帰ってまずしたことは、洗濯。あたりまえのことがうれしい。そして、チビまる子に早く会いたいと思う。今は私の代わりに夫が通っている。餌やりに反対していた夫を引きずり込んだのは私。ちょっと心苦しい。そして、今度のことでは夫の支えは強かった。ありがたいことだ。

 

 

 

 

 

 

 

コメントを残す