長屋門の家

車で一時間弱の、牧之原市というところに、昔の庄屋が残っている。今の季節はアジサイがとてもきれいだと新聞に書いてあった。行ってみると、正面に立派な茅葺の門があり、通り抜けようとすると、横に昔ながらの農機具が置いてった。

おっと、これは懐かしい。昔、私の家にもあって活躍していた脱穀機だ。上から穀物を入れ、右の丸い部分についている取っ手のようなものを回すと、もみがらが剥がれて中身だけが出てくるという仕組み。この家では稲も作っていたようだが、おもには漁で財をなしたという。海はすぐ近くにあって、晴れていれば、裏山から富士も海もみえるという。あいにく雨で、みることはできなかった。

黒松で組まれた天井の梁。昔の私の家にも、天井にはこんなふうに梁が巡らされていた。もちろん、ここのとは比べものにならないような、ただの煤けた梁だったが。その梁の上を、よく猫が歩いていたっけ。ううん、これだけ複雑に組まれた梁なら、猫にはとっておきの遊び場になるだろうなあ。

天井の高さは、富の印だったという。そして、家の中には、代々受け継がれてきた吊るし雛がたくさん飾ってあった。

馬にトラ、亀も。そして、俵ネズミや、かわいい女の子の履物、雛など。どれも丁寧に作られていて、かわいいものばかりだ。

七代めの当主は、柴田勝家の城家老だったそうだ。それでだろうか、甲冑もあった。そばには、ぬいぐるみの鯉のぼり。跡継ぎの男子のためだろう。

 

 

 

 

 

 

外は、風流。裏山を登って行くと、アジサイロードが続く。

吉田の海はすぐ近くにある。この家が隆盛を誇った時代、朝早くに漁に出て行くと、魚はいくらでも獲れたのだそうだ。今のように組合もなく、毎日、獲りたい放題で、町に売りにでれば、すぐに金になる。稲作のように実りを待つこともなく、財はどんどん増えていったのだという。それでこのように豪華な家ができたというわけだ。

家のなかの下働きのものだけで、30人はいたという話だ。私はつい、古い竈をみて、おそらくはここで泣いただろう下働きの女たちのことを想像してしまった。

まだ私が小学校に入学するかしないかのころのことだが、家にも囲炉裏や竈があった。朝早く暗いうちに起きる母は、毎朝、囲炉裏のそばの竈でご飯を炊いた。薪の燃える音に眼がさめて、起きていくと、囲炉裏の火が母の横顔に映り、その顔が燃えているようにみえたのを覚えている。怒っているような、なにかに耐えているような顔。それが母の本当の顔だったらどうしようと、子供心に不安だった。

とても気の強かった母は、だが、年をとるにつれて、柔和で笑いの多い顔に変わっていった。けっこうわがままで、子供を6人も生み、孫もひ孫もたくさんでき、にぎやかな晩年だった。しあわせだったろうと思う。