色、いろいろ

   

節分である。鬼の季節である。鬼といえば、人間と友達になりたいと願う赤鬼のために、青鬼が悪役を演じる話を思いだす。浜田廣介が書いた有名な童話。とてもいい話だ。山形にいるとき、彼の記念館が近くにあって訪れたことがある。

ひっそりとしていて誰もいなかった。涙を流す赤鬼のこと、赤鬼を気遣う青鬼のことを思った。

公園のしだれ梅がきれいに咲き、和風庭園の黄色い花からは、いい匂いがしてくる。

池にはカモがたくさんいるが、先日の動物園でみたようなカモはここにはいない。あのカモの、日の光に輝く緑は、まるで生きている宝石のようだった。

考えてみたら、動物たちは不思議な色模様をそれぞれに持っている。創造主の神様が、気まぐれにいたずらをしたみたいに。

グレイと白のインパクト。バク

フラミンゴはどうして、みんな片足立ちなんでしょうか。

ショウジョウトキは、美しい緋色

モモイロペリカンのくちばしの模様は、着物の帯模様のようだ。自然のものたちが持つ色は繊細ですばらしい。頭の淡い桃色も、なにか和風な感じ。

ホホジロカンムリヅルは、羽の色も頭の冠も、頭から顔にかけての色も見事な色の組み合わせ。和服の留袖を連想する。鶴というだけあって、和のテイスト。立ち姿の美しい鳥だ。

二羽は、もう少しでハートのマークになるところだった。間近でみると、かなりの大きさだ。これまであまり鳥には興味がなかったが、この鳥にはひとめぼれ。

鹿さん、あなたのその模様は、洋服の模様にしたら、おしゃれだよね。

キリンの模様もいいけれど、極めつけはやはりこれでしょうか。

このアムールトラは日本で最高齢だそう。道理で寝てばかり。

ジャガーをみて思うのは、どうやって、神様はこんなふうにすてきな模様を考えついたんだろうということ。足の指のところにまで模様がある。細工が行き届いているんです。

それにくらべて人間のなんとのっぺらぼうなことか。それで、人間は洋服に動物の模様を重ねあわせたりするけれど、とてもとても及ばない。

ヒョウ柄やトラ柄はよく大阪のおばちゃんの代表的な例にあげられる。だが、大阪に住んでいるとき、そんな柄を着ている人はそれほど多くはなかった。ただ、街を歩いて感じたことは、とにかく自由な色と恰好であふれているということ。そして、それを怪訝な視線で見る人もいない。あの解放感は、ほかではみられないことだ。看板も派手で、街は明るい色に満ち溢れていた。

まる子の顔のはちわれも、なかなかいい味をだしている。

寒さが厳しくなってきて、まる子はいつも丸まったまま。食欲はあるが、元気がない。それで木の枝で遊んでやったら、のってきた。ちょっと安心。私のほうも着ぶくれするほど着込んで行くが、丘の上を吹きわたって行く風の冷たさは身にしみる。

それでも春待ち顔のしゃくなげの蕾はすっかりふくらみ、冷えた地面からも色はたちあがってくる。

可憐な小さな花たちも、冷たい風に揺られながら、春を待っているようだ。

 

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