鬼滅の刃、好きな言葉、其の参

たつの中で寝ていた三毛子、テレビに全集中!

テレビの中の、キツネやウサギに眼をうばわれ、早い動きに眼がついていくのはさすがだ。三毛子の中で、テレビの中の動物たちはどんなふうに捉えられているのか。ときどきテレビの画面に近寄ってみたり、後ろに回ってみたりする。

昔猫のプリンとマロンはまったくテレビに興味を示さなかった。あれは別の世界のことと捉えていたようだった。

三毛子の様子を眺めていて、これは、「鬼滅の刃」の煉獄杏寿郎の眼に似てるってことに気づいた。 

無限列車編」で、猗窩座(あかざ)という、強力な鬼(鬼のなかでも上位に位置する。上弦の参)と対決する煉獄杏寿郎。すさまじい戦いをくりひろげるなか、激しく傷めつけられる。左目は潰され、あばら骨が折れ、腹に穴があく。

その杏寿郎に、猗窩座はおまえも鬼になれと何度も誘う。鬼になれば、体が再生するからだ。ならない! と、杏寿郎はそのたびに断わる。

ならない! 老いることも死ぬことも、人間という儚い生き物の美しさだ。老いるからこそ、死ぬからこそ、堪らなく愛おしく尊いのだ。

そのときに杏寿郎が返す言葉だ。杏寿郎には微塵の迷いもない。

母上、俺はちゃんとやれただろうか。

杏寿郎が幼いときに、母は、「弱きものを助けるのは強きものの責務です」と教えた。猗窩座との戦いに敗れた杏寿郎は、母の幻をみて訊ねる。すると母はおまえのことを誇りに思うと答える。

母上、俺のほうこそ、あなたのような人に生んでもらえて光栄だった。

何という言葉だろう。こんなことを、もしも自分の生んだ子に言ってもらえたなら、もうなにもいらないと思うのではないだろうか。それこそ、老いることも死ぬことも美しくみえてくるのではないのだろうか。

やっぱり、鬼滅の刃の魅力は、言葉の力だと思う。ストーリーやそれぞれのキャラクターも魅力だが、どれだけの人がその言葉によって励まされることか。口に出すと照れくさいようなストレートな言葉が堂々と語られる。

学校でも教えてくれなかったこと、パソコンやゲーム、まわりの大人からも学べなかった言葉があちこちに散りばめられ、そこにアニメの力が加わっておもしろいのだろう。生きていく上での軸となるような言葉を聞くと心をつかまれる。

俺は俺の責務を全うする! ここにいるものは誰も死なせない!

杏寿郎は、その言葉のとおり、列車内の乗客をただの一人も死なせなかった。もちろん、炭治郎たちの力もあってのことだけれど。

あれっ、これってちょっとどうなってんのかなあと思うところもあるけれど、それは眼をつむってみてしまう。アニメなんて、とずっと思っていたが、鬼滅の刃の中に散りばめられている言葉に触れるたび、なにごとも食わず嫌いはよくないなあと気づかされるのだ。