HOTEL

横浜

横浜ランドマークタワー近辺

長く横浜に住んでいたせいで、引っ越してからも、横浜近辺にいる友人や同人誌仲間からの集まりの連絡があった。山形に移住したものの、まわりになじめなかったこともあって、ストレスを発散するためだと言い訳をしては、ときどき上京していた。

そんなときには、たいてい割安なビジネスホテルに泊まっていたが、満室のことも多い。それでランドマークタワーのホテルに泊まったことがあった。

ひさしぶりに会って騒いだ友人たちと別れ、一人、部屋の中に入ると、窓の下には横浜の夜景。

はるか下には、車のテールランプの列。それをぼんやりと、分厚い窓枠に腰掛けて眺めていると、さっきまでの高揚していた気分は消え、しだいに空しくなってくる。

ランドマークタワーというのは、町の機能を備えている。なんでもあった。どこもかしこもきらびやかで色彩にあふれている。モノクロの世界に住んでいる身には刺激が強すぎて、気分がふわふわしてくる。

まるで酔うようにそんなところを歩いているうちに、ここは私のいるところじゃない、という思いがつのってきて、そそくさと、逃げるようにして帰った。

土浦

土浦のホテルに、一月近く滞在したときは、大学生だった息子がバイクで事故にあい、腎臓に深刻な損傷を負ったときだった。

救急車で運ばれた病院から連絡がきて、慌てて山形から茨城をめざして車を飛ばした。

かけつけると、意識もあって大丈夫そうだったが、ベッドから下がっている尿の袋が血に染まっているのをみて、気を失いかけたのを覚えている。

彼は大学もアパートも東京のはず。 それがなんで茨城で、しかもバイクに乗っていたとは。 訊ねると、バイクは自分で買い、休みになると遠乗りをしていたという。 親の知らないことばかりだった。さいわい損傷を受けた腎臓の摘出はまぬがれたが、彼が親からすっかり遠ざかっていることに気づき、愕然とした。

三沢

米軍基地がある三沢のホテルは最悪だった。このときは、夫が自転車のアマチュアのロードレースに参加して転倒し、頭を打って、救急車で運ばれたという連絡。またもやホテルから病院に通うことに。

医者の話では、夫は頸椎を損傷し、傷めたところがあと数ミリずれていたら、半身不随になっていたそうだ。

このときに滞在したホテルは、基地が近かったので、飛行機の爆音が響く。それで、少し離れたところに温泉地があり、観光ホテルがあったので、そこから通うことにした。宿泊代が高かったがしかたがないとわりきった。

だが、おかしなことに、ずっと同じ料金を払い続けているのに、しだいに部屋のランクが下がっていく。最後は蒲団部屋みたいなところに回された。苦情を言うと、団体さんが入ってきたから我慢してくださいという。それからは、蒲団部屋から病院に通うことに。正当なことを主張できない自分の弱さに腹が立った。

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そんなこんなで、ホテルというところにはあまりいい記憶がない。親戚の結婚式だの旅行だのと、いい思い出もあるにはあるが、なるべくなら近寄りたくない。そのせいか、このごろは、ホテルなどとは無縁のミニマムな暮らしになっている。

引っ越しをするたびにいろんなものを処分し、結局残ったのは、いつでも惜しげなく処分できる安物ばかり。写真も手紙も本も洋服も最低限に抑え、すっかり身軽になった。人との関わりも減り、孤独といえば孤独だが、丘に行けばチビまる子が待っている。

まる子、ちょっとご機嫌!

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